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教会からのお知らせ

キリストの聖体の聖書朗読と勧めのことば

2020年06月14日 - サイト管理者

信徒の皆様へ

♰主の平和

梅雨に入りました。お変わりございませんか。

全国的に、少しずつ公開ミサが再開されています。
しかし、大塚司教様からの「ミサ等の再開の措置(その5)」にありましたように、ミサを行うときは、政府が公表している「新しい生活様式」から、感染防止の3つの基本:①身体的距離の確保、②マスクの着用、③手洗いと、「3密(密集、密接、密閉) 」の回避を守るため、「 ミサ等、集会を行うときの守るべき要件 」 を確実に満たさなければいけません。お互いの感染リスクを考えて距離を保つため、ミサにあずかることのできる人数を制限する必要があります。

高野教会では、6月28日(日)より、お住まいの地区ごとに参加できる順番を決めて、ミサを再開する予定で準備を進めています。ご自分のお住まいの地区の日でなければ、ミサにあずかることはできません。
地区割り、ミサにあずかる注意事項などの詳細は、メールなどの登録されている方法でご連絡をいたしますので、もうしばらくお待ちください。

また、教区全体で所属教会以外のミサにあずかることも避けていただきたいということですので、高野教会以外のミサに行かれることがないようにお願いいたします。同じく、高野教会のミサに、他教会の信徒の方はあずかることができません。

感染症に加え、熱中症にもくれぐれもお気をつけくださり、お過ごしくださいますように。
祈りのうちに。

高野教会役員会

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第1朗読 申命記 (申命記8章2~3、14b~16b節)

(モーセは民に言った。)あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
 主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。

第2朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 (一コリント10章16~17節)

(皆さん、)わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

福音朗読 ヨハネによる福音書 6章51~58節

(そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サン・ホ

今日読まれた福音書では、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」とユダヤ人たちは激しく反応し、弟子たちの多くも「実にひどい話だ」とイエス様のもとから去ってしまいます。ここで私たちは注目すべきことがあります。
イエス様は、ユダヤ人たちや弟子たちをなだめるにあたって、一つも言葉も和らげていないことです。むしろ「はっきり言っておく」と自分の主張をさらに明確にしています。実にイエス様のみ言葉は、イエス様の生涯の神秘としっかりと結び付いているのです。「人の子の肉」とは「み言葉は人間となり、我々の間に住むようになった。」(ヨハネ1.14)という受肉の神秘につながります。
「血を飲む」という表現には祭儀的な意味があります。旧約の祭儀になれ親しんできた人々は、祭壇でささげられるいけにえの血にあずかって、神とのまじわりにはいることができると理解していました。ですからイエス様の言葉は、いけにえとしてささげられる十字架の死とそこで流される自分の血によって、私たち人間が救われ、神との交わりにはいり、永遠の命をえることを意味しているのです。 神様を信じる私たちは、毎日この神秘にあずかり、永遠の命をいただきます。
皆さん!私たちは何の力で生きるのでしょうか。人間は、肉体を支えるため毎日生きるために朝、昼、晩、三食忘れることなく食べています。神様は欠点だらけの、しかも罪に汚れた人間を救うために、ご自分の御子を十字架に渡されました。これは、私たちの考えをはるかに超える愛の神秘です。「み言葉は人間となり、我々の間に住むようになった。」(ヨハネ1.14)という受肉の神秘をどのぐらい味わって、どのぐらい体験しているでしょうか。また、一日24時間に与えられた命の恵みを、どのぐらい神様にこたえているでしょうか。

信仰とは、確信です。イエス様の十字架の愛を信じ、そのみ言葉に従って聖霊の導きに生きることです。自分の力ではなく、み言葉の力で生きることです。イエス様は羊である私たちひとり一人のためにご自分の命をささげられました。許されていることを感謝しながら。
同じように私たちも十字架の神秘、愛の偉大さを生活の中で実現するように招かれています。それは、私たちが命のパンとなり、喜びとなって、世の中に福音を伝えることです。私たちがパンと、喜びにならないと、世の中に真の命という福音は伝わられないでしょう。

最後にペトロがイエスさまに告白した信仰をわたしたちも告白して、イエス様のところにとどまり、永遠のいのちを得るように願いましょう。
「主よ、私たちはだれのところにいきましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」 アーメン。

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ミサの時間

毎週 10:00~
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