年間第14主日の福音と勧めのことば
2020年07月05日 - サイト管理者信徒の皆様へ
♰主の平和
感染症の感染者の増加傾向と、熊本の大雨の被害に心痛む週末となりました。
被害にあった方々のためにお祈りします。
ブロック司祭団から連絡があり、京都市内で感染者が毎日報告されていますので、ミサの再開はまだできないということです。
皆さま、どうぞご自愛ください。
高野教会役員会
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福音朗読 マタイによる福音 (マタイ11章25~30節)
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。 これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。 父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サン・ホ
イエスは言われました。
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです。父よ、これは御心に適うことでした。」
神の国、神の知恵、神の神秘は、小さい者だけが頂く神様のプレゼントだそうです。心が素朴な人、純粋な人だけが御父の啓示を受けることが出来るのです。それは教会の歴史を通して、また私たちがよく知っている聖母マリア様の各国に出現を通しても見出すことが出来ます。
ファチマの聖母の10歳のルチア、9歳のフランシスコ、7歳のヤシンタの子供たち、ルルドのベルナデッタ、グアダルペのファン・ディエゴなど、マリア様が現れた聖人たちは皆、心が子供のような単純で純粋な人でした。
カトリック教会の霊性は、心から始まると言われます。今日、イエス様は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、わたしの軛をおい、わたしに学びなさい。・・・」と言われます。
イエス様の御言葉、招き、深さ、生き方、姿勢、愛を知らなくては、私たちは真の主の喜び、平和、安らぎを理解出来ないでしょう。
自分の興味や基準、もしくは利益を求めるがゆえに背負うことになるものに比べれば、イエスに従っていくために背負わなければならないものは非常に軽いものです。なぜなら「イエスのくびき」はいつも、一人ぼっちで背負うものではなく、分かち合っていくものだからです。
皆さんは「賢い者たち」と「小さい者たち」のどちらに属していますか。
世の中の全てを手に入れても、もし最も大切なものを見逃がしてしまうのならば、もし神のしるしを見ることが出来ないのであれば、世の中で賢くあることに何の意味があるでしょうか。
今日、イエス様は私たちをイエス様のみ言葉とみ心に招かれています。いろいろな出来事の中、疲れた人や不安な人に呼び掛けています。イエス様のいる場所は、いつも安らぎがある憩いのの場です。
神様から頂いた命、時間、健康、能力、私たちに与えられた恵みを各自の場で生かしましょう。それを分かち合って、イエス様の柔和、謙遜を学びましょう。
子供の心をもって神様の神秘に近づき、神の国の喜びと平和、安らぎを世の中に伝えましょう。