年間第17主日の福音と勧めのことば
2020年07月26日 - サイト管理者信徒の皆様へ
♰主の平和
お変わりございませんか。
京都教区時報は教区から発行されていますが、京都教区のホームページで見ることができます。
8月号がアップされています。
大塚神父様のイタリアでのご様子もわかりますので、どうぞご覧ください。
http://www.kyoto.catholic.jp/new/kouhou/jihou/jihouy2020_08_513.pdf
感染者増加のニュースが続き、心配は尽きませんが、祈りつつ、皆さまもどうぞご自愛ください。
高野教会役員会
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年間第17主日 福音朗読 マタイによる福音 (マタイ13章14~46節)
(そのとき、イエスは人々に言われた。) 「天の国は次のようにたとえられる。 畑に宝が隠されている。 見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、 持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。 商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、 出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サン・ホ
「全てを売り払う」ということを、比喩表現として理解するなら、全てをお任せする行為と、とらえることができると思います。また、他の言葉で表現すると、人生をかける行為とも言えるでしょう。
持っている物全てを売って、ある物を買うという決意には何かの理由があるはずです。第一に、発見した宝物が、今自分が持っているものよりも価値があることが分かり、確認したという理由です。第二に今の生活よりもっと大きな喜びと幸せであるだろうという理由です。
この話で言う、畑の宝物や高価な真珠の比喩は言うまでもなく、イエス様を意味します。イエス様は天におられる神様が、人類に与えられた高価な贈り物であり、宝物です。イエス様の中には人類に対する限りない神様の愛と、罪を犯したために生じた心の傷を持っている人間を治してくださる治癒や生命や喜びが溢れ出ています。このイエス様の発見を、世の中のどんな宝物と比較できるというのでしょうか。
そして、人生の宝物としてイエス様に出会うためには、飢えや、渇きが必要です。事実、福音書の中で救い主としてのイエスに出会えた人たちは、サマリアの女を初めとして、徴税人、娼婦、異邦人、病者など、この世で疎外された人々でした。世の中で幸せから見放され、行き詰まった道に入り込んだ人々でした。そして、神様以外には希望を見出せなかった人々でした。
魂の乾きと飢え、それは、人間にとっては何より重大なことです。その乾きと飢えを持って日常生活を始めることで、イエス様を、そして天の父を真に、真実に、誠実に求める情熱と力が出て来ることでしょう。
今日の第1朗読では、ソロモンは富や栄華を求めないで神の知恵を求めました。その結果、世の中で必要な権力、富、栄華は加えて与えられました。しかし、神の知恵をないがしろにしたときから、彼の生き方は変わってしまいます。
第2朗読では、神様の摂理を悟ろうとする努力こそがまさに知恵であり、救済であると説破しています。イエスはサマリア人の女に、「あなたが、もし、私が誰なのかを知っていたら、あなたは私から永遠なる生命の水を求めたことでしょう」と語られました。
今日の福音のメッセージと共にこれらのみ言葉を黙想しながら、私たちは人生の中でどんな宝物を探そうと努力し、切望しているのかを思い巡らし、イエス様がくださる宝物を発見できる新たな一週間になりますよう、共に祈りましょう。