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教会からのお知らせ

年間第33主日の福音と勧めのことば

2020年11月15日 - サイト管理者

信徒の皆さまへ

♰主の平和

寒くなってきましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
年間第33主日の福音と勧めのことばをお送りします。

■今日は「貧しい人の世界祈願日」です。カトリック中央協議会のHPにフランシスコ教皇のメッセージが掲載されていますのでお読みください。
2020年 第4回「貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ「貧しい人に援助の手を差し伸べよ」(シラ7・32)

■11月15日から22日は「聖書週間」です。

■11月は「死者の月」です。
今年は、帰天された方のお祈りを希望される場合は、花井神父様がお祈りくださいますので、ご希望の方は封筒に祈ってほしい方のお名前を書き、お志を同封の上、司祭館の郵便受けにお入れになるか、直接花井神父様にお渡しください。
専用の封筒は、ホールと聖堂に置いてありますが、普通の封筒でも構いません。

京都洛北ブロック年間第32主日のミサが、YouTubeにアップされていますのでご覧ください。
司式はウイリアム神父様です。
共同祈願は、各自の祈りをお捧げください。

■高野教会では、ホールでの地区別ミサが続いています。
明日、11月15日(日)はB地区(高野、田中、北白川、聖護院、浄土寺、吉田、NDシスター)のミサです。11月20日(金)はA地区(下鴨、北区、左京区以外の京都市、京都市以外)のミサです。
ミサに行かれる際には、10月24日にお送りしました「10月からのミサの再開につきまして」を再度お読みになり、注意事項をお守りくださいますようお願いします。
また、ほとんどの教会でミサの人数制限がありますので、他の教会のミサに行かれることがないようにお願いします。
引き続き、大塚司教様より、主日のミサに与る義務が免除されています。

カトリック高野教会

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福音朗読 マタイによる福音(マタイ25章14~30節)

〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕
「天の国はまた次のようにたとえられる。
ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。
早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。
『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
主人は言った。
『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。
『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
主人は言った。
『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。
『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
主人は答えた。
『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭  北村善朗

 今日の箇所は有名なタラントンのたとえ話です。イエスさまは、当時のタラントンという貨幣価値を使って、神の国のたとえを話されました。しかしながら、この箇所は、預けられたタラントンの違いは何かとか、わたしに与られたタラントンは何かとか、教会、社会の中で与えられた能力を進んで生かしましょうというような教訓話としてとらえられがちです。それに、このタラントンが後のタレントの語源になるわけですから、ますますその人に与えられた能力や才覚を使った人と使わなかった人というような説教になってしまいます。でも、本当にそうでしょうか。

 わたしたちは、このたとえ話に出てくる5タラントン、2タラントン、1タラントンの違いは、量的な違いであるととらえがちですが、そうではないと思います。そうではなく、その違いは質的な違い、その人その人の個性であると言えます。そのことを勘違いして、能力のある人はその与えられた力を生かして、頑張りましょう的な話になってしまうと、現代社会の「頑張れば報われるから、頑張れ」という価値観と何ら変わらない話になってしまい、イエスさまの意図とは全く違った話になってしまいます。5タラントン預かった人が5タントン儲けたという話を聞くと、ますます頑張れと言われているように思ってしまいます。しかし、注意していただきたいのは、5タラントン儲けた人に対する主人のことばと、2タラントン預かって2タラントン儲けた人に対する主人のことばは、同じであるということです。言うなれば、褒賞は同じであるということです。ただ、1タラントン預かった人は、そのあり方が厳しく問われています。

 仏教のことばで「身自ら之を当(う)け、代わる者あることなし」というのがあります。わたしという存在は、誰も代われないし、代わってもらうことは出来ない、わたしがわたしの人生を生きるしかないという意味です。タラントンのたとえ話で、イエスさまの言いたかったことは、あなたはあなたであることを、精一杯生きなさいということに尽きると言ったらいいでしょう。今までの教会の教育の中では、自分が自分でないものになることで救われるというような教え方がされてきました。よい子になって、立派なクリスチャンになって、聖人になることを目的としてきたような、そして、それがあたかも信仰生活、聖性のように言われてきました。だから、今のままの自分では駄目なんだ、もっといい子にならないといけないのだと言われてきたように思います。しかし、わたしたちは自分以外の者にはなれませんから、自分自身じゃないもののふりをするようになります。いわゆる、聖人ごっこ、共同体ごっこ、クリスチャンごっこをする訳です。こうして、虚偽に虚偽を重ねることになります。でも、自分自身ではないもののふりをし続けること、これはストレスですから、わたしたちは心の中では自分を責め、自分を虐め、自分を否定するようになります。つまり自分で自分をおとしめ、卑下するようになります。そのように自分を虐めていると、その虐めは必ず他者に転化していきます。これが、暴力となって表れてきます。自力で頑張って、聖人になることを目指す人がいるかもしれませんが、それこそ愚の骨頂としか言えません。

 教会は今まで、罪を犯さないことが一番大切なことのように教え続けてきました。しかし、わたしたちはどこまでいっても罪人です。おそらく、死ぬまでそうでしょう。けれど、わたしたちはイエスさまによって贖われ、救われ、招かれ、愛された罪人です。今のままのわたしをイエスさまは愛しておられます。あなたはあなた自身であることを生きてくれと切に願っておられます。しかし、教会は、信者に義務を課し、それを果たすことでよいキリスト者になれると教えてきました。でも、そこから何も積極的なこと、新しいものは生まれてきません。喜びがないからです。5タラントン、2タラントン預かった人は、自分であることを生きた人ということでしょう。1タラントン預かった人は、自分でないものになろうとした人だと言えます。別のことばでいえば、自分の力で、自分以外の何かになろうとして人たちです。自分の力だけで頑張って何かをするなら、イエスさまを信頼していないと言っているようなものです。それはキリスト教ではありません。そのようなしんどい人たちの集まりに誰が入りたいと思うでしょうか。

 わたしがわたしとして生きられて、大切にされて、尊重される世界、それは同時に他者を生かし、大切にし、尊重する世界です。これが神の国であり、教会は神の国の秘跡、先取りとなるように招かれています。現代社会は、自分が自分らしく生きることが難しく、人間にとってはとても生きづらい社会です。能力があって、頑張ったものだけが報われるような世界です。そのような息苦しい社会に中にあって、教会の中はせめて、その人がもっともその人らしく、ありのままで、自然でいられる場であれば、どんなに人々にとって希望となるでしょう。わたしたち教会が、人々にとって、この暗闇をさまよう現代社会にあって、小さな光となることができるように祈り、またわたし自身とイエスさまの関わりを見直していきましょう。

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毎週 10:00~
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