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教会からのお知らせ

復活節第4主日の聖書朗読と勧めのことば

2020年05月03日 - サイト管理者

信徒の皆様へ

♰主の平和

皆様いかがお過ごしでしょうか。
緊急事態宣言の中、ミサで集うこともできない状態が続いています。
そこで、北村神父様からのご提案ですが、お知り合いの方々のうち、一日ひとりに電話をかけていただき、教会共同体の仲間として、支え合い、相互扶助をしていくことのお願いです。このような時こそ、より一層、私たちの心を繋ぎたいと希望しています。

復活節第4主日の福音の勧めの言葉を書いてくださったのは、復活祭後、洛北ブロックに着任されたユン・サン・ホ神父様です。
一日も早く教会で神父様にお会いできる日が来ますように。
祈りのうちに。

高野教会役員会

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第1朗読 使徒たちの宣教 (使徒言行録2章14a、36~41節)
(五旬祭の日、)ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、 「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。 
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。

第2朗読 使徒ペトロの手紙 (1ペトロ 2章20b~25節)
(愛する皆さん、)善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
「この方は、罪を犯したことがなく、
 その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

福音朗読 ヨハネによる福音 (ヨハネ10章1~10節)
 (そのとき、イエスは言われた。)「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サン・ホ
 今日は、世界召命祈願の日です。神様の招きに一人でも多くの人が答えることが出来るように祈りましょう。
 今日、イエス様は、「私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。私は彼らに永遠の命を与える」と教えておられます。月曜日の福音ともつながっているので、そこから考えてみましょう。「牧者は羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため、すすんで命さえ捨てる」と書かれています。
 ここでは、イエスと弟子たちを「羊飼い」と「羊」という言葉によって、お互いの関係性を示しています。また良い牧者はイエス、そして、盗人と強盗をファリサイ派と例えられ、その違いが比較されています。
 他の箇所では、このように言われています。「私は仕えられるためではなく、仕えるためにこの世に来た」。この言葉は今日の福音の精神をよく示しています。主日の福音は「私より前に来たものは皆、盗人であり、強盗である」。と
この言葉はその時代の民の指導者として、力を行使している者を指摘しています。そして、良い羊飼いは生き方において、力を見せつける姿ではなく、奉仕と謙遜の姿を通して神への道を示します。今日の福音の羊は象徴的に私たち「人間」を表しています。
神は失われた人類をしかも罪に汚れた人間を救うために、神がご自分の御子を十字架に渡されました。これは、私たちの考えをはるかに超える神の愛の神秘です。イエスは、「仕える」というあり方を、その神秘を十字架の死をもって証されました。
実に、イエスの死は、私たち人類の歩みを照らす光となって輝き、愛に飢え渇く人々にゆるぎない希望を与えます。迷った一匹を探しに行く羊飼いの姿は、まことの祭司職は何であるか示しています。
 イエスは羊という私たち一人ひとりのために、ご自分の命をささげました。これから私たちも神のみ心をわきまえ主の声を聞き、忠実に従いましょう。主のみ旨とは、ただ一つで、誰も迷うことなく、ご自分からはなれてしまわないことです。
羊は自分からはえさを探すことさえできない動物です。だから私たちは自分の命を支えてくれる「羊飼い」を必要とする人間です。謙遜な心、素直な心をもって主の声に耳を傾け、従いましょう。この世界、そしてその中に生きる私たちはたった一つの召命だけを神様から受けています。
 その唯一の召命とは「命の満ちあふれる豊かさに生きることです」。そして救いに生きることに他ありません。その永遠の命への呼び掛けに耳を傾け、従いましょう。

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