諸聖人の福音と勧めのことば
2020年11月01日 - サイト管理者信徒の皆さまへ
♰主の平和
寒くなってきましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
明日「諸聖人」の祭日の福音と勧めのことばをお送りします。
■11月は「死者の月」です。
今年は、帰天された方のお祈りを希望される場合は、花井神父様がお祈りくださいますので、ご希望の方は封筒に、祈ってほしい方のお名前を書き、お志をお入れになり、司祭館の郵便受けに入れるか、直接花井神父様にお渡しください。
専用の封筒は、ホールと聖堂に置いてありますが、普通の封筒でも構いません。
■京都洛北ブロック「諸聖人」のミサが、YouTubeにアップされていますのでご覧ください。
司式はユン・サンホ神父様です。
共同祈願は、各自の祈りをお捧げください。
■高野教会では、ホールでの地区別ミサが続いています。
明日、11月1日(日)はD地区(岩倉、上高野、静市、鞍馬、八瀬、大原)のミサ、11月6日(金)はC地区(松ヶ崎、修学院、山端、一乗寺)のミサです。
ミサに行かれる際には、10月24日にお送りしました「10月からのミサの再開につきまして」を再度お読みになり、注意事項をお守りくださいますようお願いします。
また、どこの教会のミサも人数制限などがありますので、毎週ミサに与れないといって他の教会のミサに行かれることがないようにお願いします。
引き続き、大塚司教様より、主日のミサに与る義務が免除されています。
カトリック高野教会
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福音朗読 マタイによる福音(マタイ5章1~12a節)
(そのとき、)イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サンホ
今日は天国のすべての聖人のことを称える祭日です。生き方を模範として生活の中で実践されたことを思い起こします。
特に、典礼暦に祝日が別に指定されていない聖人たちを、もっと記憶して称える日であります。聖人は、死んだ後、奇跡を起こしたことをお祝いするというよりは、神の国を毎日の生活の中に生きて証されたことをお祝いします。
福音で、イエス様は山上の説教を通して「真の幸い」についてお教えになります。
私たちの喜び、幸福、希望、平和はどこにありますか。もし、あるならばどこにありますか。その原因はどこから来て、どこに探さなければならないですか。全ての人が探している幸福は同じでしょうか。この世では、すべての人の価値観が違うし、人それぞれの考えが違います。
今日の福音は、この世の目で見る時、皆、不幸な話です。しかしこの人たちは、逆説的に本当の幸福は、貧しいから、幸福ではなく、神の国が彼らのものだからです。それは主のみ言葉により聖霊の導きに従う人々です。
即ち、十字架の聖ヨハネは、容易な道と難しい道があるとしたら、いつも難しい道を選びなさいと言いました。イエス様も狭い戸口から入りなさいとおっしゃいました。なぜなら、楽な道とは利己的な道であり、狭い道とは人のために自分にとって不便になるからです。
楽な道と不便な道の選択において、愛のため不便な道を選択した人々のために、イエス様は彼らに、またこう仰っているのです。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」
本当の幸福の“尺度“は、この世の幸福の価値観ではなく、未来にやって来る新しい秩序、神の秩序の中に探さなければなりません。それゆえ神の国、幸福の国は、第一ヨハネの手紙にあるように、主に全ての希望をおく生き方です。
今日の全ての聖人の日の喜びは、ひたすら神様だけを信じ、その教えに従い生きた聖人たちのように、神のためにすべての困難や迫害、試練を乗り越え、最後まで忍耐をした人たちの国の喜びです。
全てのことを神の国のために、ひたすら忍耐と謙遜、奉仕と愛を捧げる生き方をした人たち、この人たちが聖人であり、本当の幸福な人たちです。私たちも日常の生活で聖人になれますように。