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教会からのお知らせ

受難の主日(枝の主日)の福音と勧めのことば

2021年03月28日 - サイト管理者

信徒の皆さまへ

♰主の平和

教会の桜が、日に日に美しくなってきました。いよいよ聖週間です。
先週、聖堂でのミサが、約1年ぶりに再開されました。
1948年に高野教会の聖堂ができて、今年で73年。
この聖堂でこんなに長期間ミサがなかったことは、今までなかったでしょう。

マスク、消毒、換気、座席の間隔などなど、感染対策を十分にとりながらのミサとなります。
日程をご確認の上、ご自分の地区のミサにご出席ください。
他地区のミサ、他教会のミサにはあずかれませんのでご了承ください。

どうぞよい聖週間をお過ごしください。
 
■高野教会 聖週間・復活祭の典礼
 聖木曜日 4/1(木)18:00 地区別なし(高野教会の信徒のみ参加可) 定員40名

 聖金曜日の典礼はありません。   

 復活徹夜祭 4/3(土)17:00 A・B地区
   
 復活の主日 4/4(日)10:00 C・D地区

京都みんなで捧げるミサ 
 受難の主日のミサの司式はユン神父様です。 
 主の晩餐の夕べのミサ、主の受難の祭儀、復活の聖なる徹夜祭は配信されます。
 それぞれ、木・金・土曜日の午後8時過ぎには見られます。
 復活の主日のミサの配信はありません。復活節第2主日から始まります。

カトリック高野教会

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福音朗読 マルコによる主イエス・キリストの受難(マルコ15章1~39節)

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトはイエスに尋問した。 「お前がユダヤ人の王なのか。」
イエスは答えられた。
「それは、あなたが言っていることです。」
そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した。
「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは言った。
「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて言った。
「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」
群衆はまた叫んだ。
「十字架につけろ。」
ピラトは言った。
「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
群衆はますます激しく叫び立てた。
「十字架につけろ。」
ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
「ユダヤ人の王、万歳」
と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所―その意味は「されこうべの場所」―に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、工ロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
「そら、エリヤを呼んでいる」
と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」
と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

(頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)

すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。
「本当に、この人は神の子だった。」

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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭  ユン・サンホ

 ユダヤ人たちは、イエス様が“神の子”であると信じることができませんでした。彼らにとって、“神の子”とは十字架から降りて自分をすくうことのできるものであり、十字架はイエスが“神の子”でないことの明白な証拠なのです。
ピラトの尋問に答えた後、ずっと沈黙を続けていたイエス様は、息を引き取る直前、“エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ”と叫び声を上げます。神を信頼して、全て委ね、苦しみに耐えたイエス様は、それに対する神の答えを求めます。
祭司長たちは、神の答えはイエス様を十字架から降ろすことだと考えています。苦しみが除かれることが、“救い”だと考える人々には、“エリ、エリ、”というイエス様の叫びが、預言者エリヤを呼ぶ声に聞こえます。
 エリヤは、終末にメシアに先駆がけて、現れると期待されていた預言者です。しかし、人々が待ってもエリヤは現れません。神様は、ついにイエスを十字架から降ろしはしませんでした。イエス様は、死なない“神の子”ではなく、死んで復活する“神の子”です。イエス様の死の後に起こるさまざまの不思議な出来事は、終末の到来を知らせるものです。
 イエス様をののしる人々とは対照的に、イエス様の死の場面を正面から見ていた人がました。それは、百人隊長でした。その彼は、“まことに、この方は神の子だった”とイエス様への信仰を言い表します。別の言葉では「この方がイエス・キリスト、わたしの救い主」という信仰告白をしたのです。ユダヤ人ではない百人隊長は、イエス様が、“神の子”であることを理解しました。このように私たちも、神様が十字架を通して語る言葉を聞くようにと招かれています。
 イエス様の犠牲を通して、私たちは永遠の命を頂き、永遠に生きることが、今日の百人隊長のように改心すること、救いなのです。そして、わたしたちの考えをはるかにこえたキリストの十字架の愛にふれて、神の国、神の愛を力強く述べ伝えることが出来ますように、特にミサの中で恵みを願いましょう。
 復活祭までの一週間をよりよく過ごし、復活の真の意味を悟り、恵みいっぱいで、イエス様とともに復活することができますように…。

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ミサの時間

毎週 10:30~

基本的に第2、第5日曜日のミサはありません。大祝日などと重なる場合は変更があります。