聖霊降臨の主日の福音と勧めのことば
2021年05月23日 - サイト管理者♰主の平和
フランシスコ教皇様は、5月の聖母月を通して、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの終息を願って、ロザリオの祈りを唱えるよう全世界に呼びかけられています。
世界30か所の聖母聖堂などからロザリオの祈りが捧げられ、バチカンの公式メディアから配信されています。
昨日は、長崎浦上教会の被爆マリア小聖堂からロザリオの祈りが捧げられました。
■京都みんなで捧げるミサ
聖霊降臨の主日のミサの司式は、ユン神父様です。
カトリック高野教会
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聖霊降臨の主日 福音朗読 ヨハネによる福音書(ヨハネ15章26~27、16章12~15節)
[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サンホ
イエスの昇天後10日してから、約束された聖霊が、母マリアと使徒たちの上にくだりました。それによって教会が誕生しました。教会と言うのは単なる建物のことではなく、生きた石である私たち一人一人が集まった姿、このように神を中心とした者達が聖霊によって一つに結ばれた神の民です。
今日は、聖書の中で描かれている、教会の姿を共に見たいと思います。キリストを頭としたキリストの体の一部分となったわたしたち、あるいは一つのパンを分かち合って、心を一つにしているキリストの体、またキリストというぶどうの木につながっている枝であるわたしたち、キリストという唯一の羊飼いの声に従う羊たち。ここで共通しているテーマは一致です。聖霊降臨と一致は大いに関係があります。
今日、使徒言行録では、「一つになって集まっている」、そして聖霊に満たされた使徒たちが他の国の言葉で話し、外国で生まれ育ったユダヤ人たちがその言葉を理解したと言っています。この話は、旧約聖書のバベルの塔の話しと関連づけることができます。世界中は、同じ言葉を使って同じように話していました。彼らは、「天まで届く塔のある町を建て有名になろう。そして全地に散らされることのないようにしよう」。しかしこの塔は、神さまによって破壊され、世界の人々の言葉は、分裂して違う言葉を話すようになります。
この話から分かることは、人間は、自分の力で自分を救うつもりで大きな塔を建てました。しかし、それは神の最も嫌われる偶像崇拝でした。やはり、ここでも神を頼みとせず、自分を頼みとして救われようとする人間の姿があります。この人たちは大きな塔を建てて、自分の思いどおりにはならない天を、思いどおりにすることが目的であったのでしょう。
しかし、その結果、話す言葉がばらばらになってしまいました。これは分裂を意味します。このように、神と縁を切って、自分や他のものに頼るとき分裂が生じます。聖霊という弁護者によって弟子たちは違う言葉を話し、それぞれの国の人々がその言葉を理解します。これと同じように、私たちは違う言葉で話しているわけですが、同じ聖霊によって一つに結ばれています。これが教会です。
体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるように招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、全てのものの父 である神は唯一であって、全てのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。(エフェソ4,4)
世界中の教会は、聖霊という一つの声で神に礼拝を捧げ、私たちはキリストの体を受けます。このミサの中で、私たちも、キリストと一つになっている一つのパンであることをよりふさわしく思い起こし、神の子として生きることを感謝しながらこのミサを捧げましょう。