年間第28主日の福音と勧めのことば
2021年10月10日 - サイト管理者♰主の平和
秋の空が広がり、さわやかな日が続いています。
10月からミサが再開され、2日(土)、3日(日)は地区別のミサが行われました。
感染防止対策を行いながらのミサでした。
久しぶりの聖堂は有志の方々によって整えられ、お庭も変わらず整備され、ミサのない間も多くの方々が教会のために関わってくださっていたことを感じました。
花井神父様もお元気にミサを司式してくださいました。
「ミサ中、涙が止まらなかった」と言われたご高齢の方の言葉が心に残っています。
この週末はミサがありません。
今月のミサは以下の通りですので、どうぞご無理をなさらないようにお気をつけの上、ご自分の地区のミサに与ってください。
16日㊏ AB地区
17日㊐ CD地区
23日㊏ CD地区
24日㊐ AB地区
30日㊏ AB地区
31日㊐ CD地区
■京都みんなで捧げるミサ 年間第28主日のミサの司式はユン神父様です。
■大塚司教様のお声が聴けます。パウロ大塚喜直ラジオトーク
カトリック高野教会
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福音朗読 マルコによる福音(マルコ10章17~30節)
[そのとき、]イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」
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<勧めのことば> 洛北ブロック担当司祭 ユン・サンホ
ヨハネ福音の17章3節に、「永遠の命とは、唯一の真の神でおられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」と、書かれています。
知るという言葉は重要です。神は私達と一緒におられること、私達と共に同伴してくださること、私達をあまりにも愛してご自分の命でさえ差し出した方であることを知ることです。
「一つの足りないことのせいで全体が消える」という話があります。金持ちの青年が願った永遠の命を得るために青年は、イエス様のお勧めに従って、財産を貧しい人々に施しいしなさいと言う御言葉に従って放棄すべきでした。それが出来なかったから残念でした。聖女アビラのテレジアは、神を持つ人は全てを持っていると教えました。
マタイ福音8章34節を見るとイエス様は「私の後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とおしゃっています。
今日イエス様は、「財産のあるものが神の国に入るのはなんと難しいことか」と言っています。「子たちよ!神の国に入るのは、なんとむずかしいことか。金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい」。そのように考えたら神の国から遠い人です。しかし、人間の力では不可能ですが、神様に全て委ね執着から自由な身になったら可能になるでしょう。
イエスの教えに従って、持ち物を自分のためだけではなく、神の国のために、貧しい人のため、周りの人のために使っているなら、きっとその人は神の国に近い人だと言えるでしょう。神の国というのは死んでから行く国のことではなくて、今、神の呼びかけに答えて、他の人への愛となったときに実現する国なのです。執着から自由になった時、他人のための奉仕が始まった時、少しでもイエス様の教えを受け入れることが出来るでしょう。
イエス様に質問した青年は、子どものころから律法守り、良い人だったけれど、真の神様を知りませんでした。また、貧しい人を思いやり愛するよりも自分の持ち物を大切にして、執着から抜け出すことができなかったのです。神様の真の呼びかけに耳を傾け、執着から解放されなければ私たちは神の真の姿、愛を知る事ができないでしょう。
イエス様はお金持ちの青年だけではなく、今日、今、私達一人ひとりに質問します。自分の持ち物以上に、私を愛しているのかと。どんなにお金を積んでも買うことのできない神の命という宝をただで与えられた私達が、その命を土の中に埋めることなく、神の御旨に従って使っていくことで、神の国を実現出来るように神に委ねましょう。