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教会からのお知らせ

年間第2主日 勧めのことば

2026年01月18日 - サイト管理者

年間第2主日 福音朗読 ヨハネ1章29-34節

<勧めのことば>洛北ブロック担当司祭 北村善朗

今日の福音は、洗礼者ヨハネがイエスさまについてあかしをする箇所です。ヨハネはイエスさまが「世の罪を取り除く神の子羊」であることをあかしします。その中でヨハネは、2度も「わたしはこの方を知らなかった」と繰り返します。しかし、考えてみるとマリアとヨハネの母親のエリザベトとは従姉妹同士です。まったく面識がなかったということは解せません。それにもかかわらず、ヨハネが2度まで「わたしはこの方を知らなかった」と繰り返します。そのことを今日は一緒に味わってみたいと思います。

 わたしたちも、知るということに段階があることは知っています。わたしたちが日本の総理大臣を知っているというとき、また自分の伴侶や親友を知っているというときにも同じように「知る」ということばを使っています。ここでヨハネが使っている「知る」という言葉は、わたしたちが総理を知っているというようなレベルの知るではないことがわかります。総理を知っているというレベルであれば、ヨハネは従妹の子であるイエスさまを知っているというでしょう。それではヨハネ福音書において知るということは一体どういうことでしょうか。ヨハネ福音書の中で、知るということは単に知的な理解や情報として知るということではなく、その人との深い交わりをもっていることを意味します。だからその知り方は、その人の存在の深み、その人のあり方にまで及ぶような知り方です。例えば、わたしが生涯を共にする人と知り合うということは、知るということが、わたしの人生に決定的な影響を与えます。またガンの告知の例を考えてみましょう。わたしはそのことを知ることで、今までの自分ではいられなくなってしまいます。来年の桜は見られるだろうかと、今まで当たり前にように見ていた桜が全く違うものに見えてきます。つまり知るということは、今まで知らなかった真実や現実がわたしの中に入ってきますから、それによって知らなかった以前の自分にはもう戻れなくなります。そして当然わたしの中に変化が起こってきます。

つまり、知るということは部分的であれ、今までの自分が死んで、新しい自分が生まれるというようなことではないでしょうか。ですから、わたしたちがイエスさまを知っていくということは、単に「ああ、イエスさまというのはそう人か」という情報を得るだけではありません。イエスさまはわたしの人生に関わってこられますから、わたし自身がイエスさまから影響を受けますし、同様にイエスさまもわたしから影響をお受けになるということなのです。そのような知り方なのです。ヨハネはそれまではイエスさまを親戚として知っていたのでしょう。しかし、ヨハネは霊の力によってまったく新しい知り方をしていきます。それによってヨハネもイエスさまも影響を受けて、それぞれに新しい人生が始まっていくということではないでしょうか。

ですから、イエスさまと出会った人々は、イエスさまを知ることで人生が、生き方が変えられていくのです。わたしたちは、イエスさまが残された神のみことば(聖書)に触れていくときに、2000年前の書物を読むということだけではなく、今もイエスさまと出会うことができるのです。みことばはそのような不思議な力をもっているのです。そのみことばはわたしたちに影響を与え、わたしたちを変えていくほどの力があるのです。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです(ヘブライ4:12)」といわれているように、ことばは人を変えていく力をもっているのです。もはや何も知らなかったときの自分には戻れない、神を知るということは、今までの自分ではいられなくなるということなのです。だから知るということは、苦しいことでもあるのです。真実を知ることになるからです。真実を知るということは、今までの自分に死んで、新しい自分に生まれ変わるのですから、正直いって誰でも怖いのです。でも、それが真実、真理を知ることであれば、わたしの死などいとわないほどの感動があるからなのです。

今の世の中を見てみると、リスクあることは一切しないというのが信条みたいで、先の見えないことをやってはいけない、先の読めないことはしない、すべて分かっているところを歩く、安全第一でいいけれど、それでは本当の意味での学びというか、出会いも生じません。そこには人間的成長もありません。わたしたちは、毎日曜日に教会に来てイエスさまのみことばと聖体に養われています。しかし、「わたしは絶対変わりません、今までのやり方でやりますから、どうぞわたしを守ってください」と祈っているのであれば、その信仰は何なんでしょうか。イエスさまは、わたしたちを「わたし体質」から「イエスさま体質」に作り変えようとしておられるのです。イエスさまのみことばと聖体は、わたしたちを内面から根本的にキリストの体に作り変えていく力があるのです。ですから大切なことはその霊の力に自らを委ね、わたしたちを作り変えようとしておられる神の働きに自分を任せていくということなのです。

わたしたちは、イエスのさまのみことばと聖体によって日々養われています。それは別のことばでいえば、わたしたちは今、キリストの体へと変わっていくように、愛を生きるように呼ばれているということなのです。わたしたちが学ぶことを怠らず、神の働きを拒みさえしないのであれば、わたしたちはキリストの体に変えられていくことができるのです。それは死後のことではないのです。今のことなのです。それはなんという慰めでしょうか。わたしの力では、1000年かかってもできないことを、イエスさまは一瞬のうちにそれをしてくださるのです。今日、この真理に気づくためにこころと頭を柔軟にして、神の霊の働きにわたしたちを委ねていくことができるよう祈りましょう。

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